KUMANOKODO SEN.RETREAT TAKAHARA PROJECT
プロローグ
ふとこぼした悩みが、プロジェクトの火を点けた。
「熊野古道に、泊まるところがもっとあったら……」
和歌山県田辺市にある旅行会社に勤務していた天野は、頭を悩ませていた。
熊野古道は1000年以上の歴史を持つ、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ通じる参詣道。2004年には世界遺産に登録され、毎年多くの観光客でにぎわっていた。日本の宗教や歴史、自然を体感できることから海外で人気が高まり、熊野古道を訪れる観光客の8割が外国人。中でも、欧米豪からの来訪者が多い。
しかし、その人気ゆえの課題があった。それが、天野を悩ませていた宿泊施設の不足。熊野古道の宿泊施設はなんと、2年先まで予約が埋まっているような状態だった。観光客であふれかえっているのに、泊まる場所がない。せっかくの観光資源があっても、受け皿がなくては生かしきれない。
「もともと宿泊施設が少ないうえに、昔ながらの老舗温泉旅館や家族経営の小さな民宿が多く、世界中から毎日届く予約リクエストを受け切れない状況でした。」
天野がこの悩みをふとこぼした相手が、日本ユニストの代表・今村だった。もともと知り合いだった今村に、食事の席で何気なく発したこの一言。これが熊野古道プロジェクトの始まりとなる。
プロジェクトストーリー
この話に興味を抱いた今村は、天野を日本ユニストの社員として迎え入れ、本格的に検討をスタート。数カ月後には全社員のスケジュールを調整し、泊まり込みで現地へ趣き、熊野古道を歩いて実地調査を行った。
当時のことを、不動産事業部の責任者はこう振り返る。
「自分の足で歩いてみて、これはいけると。事業化のイメージがわいて、ビジネスの絵が描けました。」
天野は社内に「熊野古道会議(通称KK会議)」を立ち上げて検討を重ね、熊野古道ルートで最も人気の高い中辺路ルート沿いの高原と近露に物件を購入。 5月の現地調査からわずか2カ月後のことだった。なぜ、この短期間で物件の購入に至ったのか。その理由を天野は、「私たちだから、日本ユニストだからできた」と語る。
「私が田辺市出身という地の利と、不動産営業メンバーの目利き力。 旅行会社で担当していた手配業務の経験から、観光客ニーズを理解していた私と、土地の立地や環境に応じてビジネスモデルを組み上げる彼らがいたからこそ、最適な場所に、最適な物件を購入することができました」
ひとことで「宿泊施設が足りない」と言っても、どこに・なにを・どの規模で建てるのかを正しく判断しなければ宿は機能せず、当然収益も生まれない。
天野は自社の物件を、「知らない人が見たら、あんなところに宿!?って思うような場所」と語る。「熊野古道を歩く方でないと、地元の方でもまず知らない場所にありますから(笑)。ふつうの会社は、車もまともに通ることができないあの場所で事業するイメージはわかないと思います。」
天野が提案したのは、中辺路ルートから半径1㎞以内の土地。車やバイクなどの移動手段を持たない観光客が、徒歩で移動できる範囲に限定した。また、天野が勤務していた旅行会社は、現地を知り尽くした地元スタッフが作り上げたモデルコースを世界中に発信しており、まさにそのルートに添って4つの宿を建設し、宿泊をパッケージ化。その立地に田中がベストなビジネスモデルを描くことで、広大な熊野古道の中で観光客のニーズに対応する宿の建設を可能にした。
物件の購入はまだプロジェクトの入り口。ブランディングからリノベーションなどの工事まで、やることは山積みだった。地元の工務店や天野の前職の旅行会社とも連携して準備を進める中で、トラブルが発生する。
あるひとつの物件で、水道が引けないという事態が起きたのだ。
その物件は山間部にあり、公共の水道が整備されていない。山からポンプで引いた水を浄化し各家庭に供給しているが、県外からの企業参入に対して抵抗感があり、反対の意見も多かったという。その事態をおさめるために協力してくれたのが、同じ大阪出身の副区長や、家具制作を依頼した職人だった。
「その方たちが、間を取り持ってくださったんです。おかげで受け入れてもらうことができ、宿ができることにも協力していただきました。」と天野は振り返る。
そもそも日本ユニストの企画開発事業は、5年・10年先を見据えたビジネスモデルを展開し、その地域を発展させること。自社の利益だけでなく、土地の価値を上げることを目指しているだけに、地元の理解や協力を得られたことは大きかった。
また、田辺市が移住や観光に力を入れており、参入を前向きに受け入れてくれたことも力になったと言う。
「地元の方にとって、大阪のベンチャー企業が入ってくることに、反発があるのは当然だと思います。そうした中でも地域と連携して事業を進めるなかで、地方をもっと元気にしたい、開発したいという想いが生まれました」。
これまでも地域に根ざした企画開発を行い、土地の価値を高めてきた日本ユニストのノウハウを、地方にも。その構想がより現実味を帯びるきっかけとなった。
エピローグ
熊野古道の先に広がる、スマートな未来。
熊野古道に誕生した宿泊施設のネーミングは、「SEN.(セン)」に決まった。そこには、紀伊山地の山とその間を流れる川、紡ぎ繋がれる数多くの線、そこに五感をあらわすSenseを掛け合わせ、自然・地域・人々を繋ぎ五感を満たす宿を目指すという想いが込められている。
そして、「隠れ家」という意味を持つRetreatを組み合わせた。
「もともとSEN.HOSTELという名称で動かしていたんです。でも旅行会社当時私のボスだったカナダ人の知人に相談したら、ホステルはドミトリーのようなお宿のイメージだからSEN.のようなゆったりできるイメージとは違うかも。Retreatにしたら?とアドバイスをもらって」と天野。
熊野の自然と旅行者がゆるやかにつながり、地元の文化や歴史にふれられる「SEN.(セン)」のコンセプトに、隠れ家という意味を持つRetreatはまさに最適なネーミングだった。
多くの人の協力を得て完成した<SEN.RETREAT TAKAHARA>。コロナ禍で約1年半開業を延期したが、無事に2021年10月に開業の時を迎えた。2022年4月には、2カ所目の<SEN.RETREAT CHIKATSUYU>もオープンし、将来的には計4施設を運営したいと考えている。
誰もがビジネスになると思っていなかった場所に、新たに立ち上がった熊野古道プロジェクト。今村は「雇用を作ることで移住を促し、定住につながるのではと思います。将来的には、ITを駆使したスマートシティ化も構想しています」と、熊野古道を中心とした地域の展望を描く。
地元出身の天野も「地域おこし協力隊とのつながりや、熊野の農産物を扱う現地の事業者と出会ったり、熊野古道の保全活動「道普請(みちぶしん)」に参加させていただいたりしました。去年初めて挑戦したクラウドファンディングでは、和歌山からのご支援がたくさん届き、地元との関係性が生まれています。」と、地域に根差した活動に期待を寄せる。
熊野古道プロジェクトは、地方だけでお金の流れを作り出す、地方完結型の事業モデル。このプロジェクトの発展は、少子高齢化や人口減少と並ぶ社会課題である「空き家問題」の解決や、その地域で何十年かけて磨き上げてきた技術・ノウハウを承継し、地方創生・地域活性化につながっていく大いなる一歩になる。1000年の時を刻んできた熊野古道の先には、スマートで明るい未来が見える。
熊野古道 SEN.RETREAT TAKAHARAプロジェクト
KUMANOKODO SEN.RETREAT TAKAHARA PROJECT
運営会社 | 株式会社日本ユニスト |
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施工会社 | 株式会社大峯組 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町高原1966 |
構造・規模 | 木造2階建て 1347.87㎡ |